民間賃貸住宅の制度インフラの課題
(住宅新報 2009.9.8号)

麗澤大学経済学部准教授 清水千弘

 最近,保証会社による賃貸人の追い出しの問題や賃貸契約の更新料の正当性を取り巻く問題が,社会問題化してきている。これらの問題は,わが国における賃貸住宅市場の制度インフラの脆弱さを象徴しているものであるといえよう。
 9月1日から4日にかけて,英国スコットランドのグラスゴーにおいて,金融危機後の住宅市場に関して議論を行うために,世界40カ国から学者が集まった。私の講演は,マクロ経済と住宅市場というセッションで行ったが,一方,私が討論者に立ったテーマは,米国の低所得者向け賃貸住宅政策に関するものであった。米国においても,金融危機後のサブプライムローンが破たんする中で,低所得者向けの賃貸住宅の需要が増加する一方,その供給が滞ってしまう中で,オバマ政権はこの8月に新しい政策を打ち出したという。また,グラスゴー大学の教授に町を案内してもらった際に,グラスゴーの低所得者向け賃貸住宅の比率は20%を超えており,金融危機後その比率が上昇しているという。つまり,住宅を失いホームレスとなってしまう可能性のある家計を政策として救済することが積極的に行われているのである。
 一方,わが国においては,どうであろうか。一部のマスコミの報道を見ると,家主や保証会社が家賃の取り立てをするのはけしからんという論調である。行き過ぎた行為は是正すべきではあるが,この問題の本質が,経済的に困窮した際の住宅供給の問題を民間賃貸住宅市場に依存しているということに気がつかなければならない。所得が低下する中で家賃の支払いが滞った家計に対しては,住宅政策としてではなく社会政策の中での救済をしていくことが必要なのである。
 そのような問題を民間賃貸住宅の制度の中で解決しようとすると,賃貸住宅市場そのものの成長を大きく妨げてしまう。この問題は,単に民間賃貸住宅市場だけにとどまらず,住宅市場全体の成熟に影響を及ぼす。
 ドイツやフランスなど多くのヨーロッパ諸国においては,資産価値が高い住宅とは収益性が高い住宅のことを意味する。住宅とは,自分が住むためのものであると同時に,もし自分にとって不要になった時には,賃貸に出してその収益を得る。人に貸しながら,自分も他の賃貸住宅に住むということもある。そのため,売買価格が大きく変動する時においても,家計の資産価値が大きく毀損することは少ない。もし売却をするのであれば,長期的な視野の下で,市場価格の動向をにらみながら売却を決定すればよい。そのような背景があるため,そして人に貸すことを前提とするために,日頃の維持管理と修繕投資が住宅の所有の中に織り込まれており,資産価値の維持・向上に繋がっている。そのような循環を通して長期優良住宅が市場の中で生まれ,既存住宅市場も成熟しているのである。つまり,賃貸市場の成熟は,同時に既存住宅市場の成熟にもつながるのである。
 しかし,前述のような社会的な背景を受けて,消費者保護の下で新しい制度設計をしてしまうと,賃貸市場の成熟にとって大きな隘路となってしまうことに注意が必要である。仕事を失ったり,所得が大きく落ち込む中で賃料の支払いができなくなったりした家計保護の問題と,民間賃貸住宅市場のインフラ整備の問題はそれぞれ独立して考えていかなければならないのである。
 100年に一度の経済危機と喧伝(けんでん)されるが、そのような状況の中で制度設計された社会制度は,将来において大きな障害をもたらすことは歴史が物語っている。戦時中につくられた「正当事由」は,わが国の賃貸住宅市場・既存住宅市場の発達を大きく阻害してしまった。我々は,同じ過ちを繰り返してはいけないのである。


(2009年9月2日スコットランド グラスゴーにて)